がんに挑む 長友隆二著

癌患者の書いた
    癌患者のための本


  目 次

      はじめに     

第一章 がんに挑む     

   食道癌の発見と転移     

   死を覚悟する    

   「自然に死にたい」     

   治療の効果あらわれる    

   三度目の入院    

   鶴田病院への通院    

   PET検査の結果は白    

第二章 免疫細胞療法    

   瀬田クリニックとの出会い    

   活性化自己リンパ球治療    

   自然治癒力    

   免疫力    

   癌細胞と免疫細胞    

   Tリンパ球    

第三章 癌患者の心得    

   癌であることを受け入れよう    

   自分の癌についてよく知ろう    

   自然治癒力を最大限に    

   医師と患者の責任分担を果たそう    

第四章 がんで得たもの    

   感謝の心    

   一期一会の心    

第五章 妻の看病日記抄    

     妻の看病日記抄    

   死の宣告を吹き飛ばせ    

   おわりに    

  参考 [一] ヒト自家細胞傷害性Tリンパ球の誘導培養法とナチュラルキラー細胞の増殖方法    

  参考 [二] 第3次対がん10か年総合戦略 (概要)〜がんの罹患率と死亡率の激減を目指して〜

著者・著書等


は じ め に

 癌になった人は、 みんな同じようなことを感じ、 思い悩み、 苦しみ、 考えると思います。

 この本は、 私の癌体験を含めて、 今まで多くの人々から受けたいろいろな相談や質問をまとめて、癌になった人の心構えや、 知りたいこと、 必要なこと、 訴えたいこと、 考えねばならないことを羅列したものです。 参考としていただければと思います。

 癌になって不安な毎日を送っている人、 今後、 生きていくための方針や救いを求めている人は、 是非この本を読んでいただき、 人生を前向きの姿勢に転換して頑張って下さればと念じます。

 おことわりしたいのは、 私は専門のドクターでも、 心理学者でもないので知識や説明不足の点がありましたら、 ご自分でさらに追求や研究をして下さるようお願いしたいことです。

 要は患者自身の気持ちの持ち方だと思います。 それは、 必ず癌を征服する覚悟で臨めば、 癌よりの生還は可能となるということです。 一年でも二年でも延命させているうちに完治する治療法が開発されるかもしれません。 完治への望みを大きくもって癌と共生しようではありませんか。

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 第一章 がんに挑む

 

 

 食道癌の発見と転移

  「西洋医学の進歩とその実績は充分に認識しているつもりですが、 こと、 癌治療に関してはかねがね疑問を抱いています。 死ぬ覚悟はしていますので、 できれば東洋医学治療で自然に死にたいものです。 以上の考えから、 手術はしないことにしました」

 私は平成十四年十一月二十七日、 末期食道癌が発見され、 十二月四日東京の虎の門病院に入院したのですが、 入院初日、 手術は不可能、 余命三カ月の宣告を受けました。

 内視鏡検査で見せられた食道内は増殖した癌でほぼ完全にふさがっており、 飲む水も通さないというほどの大きさのものが四個と、 リンパ節に転移している状態でした。

 これほどに腫瘍が大きくなるまで特別な自覚症状がなかったのは、 いま考えてみると不思議なほどです。

 実は五年前、 健康診断で腫瘍マーカーが健康な方の六倍の数値のため、 宮崎、 東京の大病院で検査を受けましたが、 癌が発見されず、 その後四年間ほっておいたつけがまわったのです。 発見寸前、 前胸部の痛みとほぼ同時に全身に怠感がひろがり、 議会に出席するのもおそろしく億劫になりました。 前年から議会の副議長職にあり年十三回も上京したりで疲労が蓄積したためで、 そのせいだろうと考えていました。

 食欲が落ち、 少しせはじめ、 ときどき食物を飲み込むのに抵抗を感じました。 しかし日常生活でよくあることなので、 格別に気になるほどでもない。 ひょっとすると糖尿病が悪化したのかと疑いもしましたが、 これもまた特別気になりませんでした。

 妻の勧めで健康診断にしぶしぶ病院に赴きました。 いろいろの検査を受けましたが、 医師から二次検査が必要と告げられました。 その口調と顔色、 見せられたX線で容易な病気ではないことが私にも察せられました。 その後三次、 四次検査と続き家族を呼ぶようにとのことでしたが、 私自身食道癌であると察知できたので、 一人で大丈夫ですと答えました。

鶴田クリニックパンフより

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 死を覚悟する

 どんな素人でもひとめで癌と察せられるX線写真でした。 それも特大の癌腫瘍です。

 ショックを受けました。 びっくりしたのも事実ですが、 ある意味やっぱりかとも思いました。 しかし、 自分が癌にかかるとは、 夢にも思っていませんでした。

 私は六十歳、 癌になってもおかしい年齢ではありません。 それにしても、 こんなに早く重病に直面するとは思っていませんでした。 X線写真を見せられたとき、 おかしな話だが私はすっと冷静になり、 客観的な心境になって 「俺はもうダメだな」 と思いました。

 腫瘍が大きすぎる。 場所も悪い。 だから東京の大病院への紹介状をもらって帰宅したとき、 私は何となく覚悟をきめていました。 癌という病気に対して殆ど無知で、 それは死に直結する大病だと信じていたので、 「早かったなあ、 そうか死ぬのか」 という思いに頭が占められ、 加速度的に自分の意識を死に向かって追い込んでしまったのです。

 落胆しなかったわけではありませんが、 私はひたすら驚き、 びっくりしていたというのがほんとうのところです。 十二月議会開会中でもあり、 一人の議員として大事な質問をかかえていたので最後の質問に取り組んだのであり、 質問終了後は、 責任をはたした充実感があったのも事実でした。

 紹介された大病院に入院し、 数日間にわたって精密検査を受けました。 そこで主治医に見せられたのが、 前述した内視鏡検査の写真です。

 ひどいものでした。 食道の入口は腫瘍で殆どふさがっており、 これでよく食事ができたものだと、 信じられぬ気がしました。 「天から死ねと命じられたようなものだ。 死ぬほかはないだろう」 と私は覚悟をきめました。 そこで私は子供達を病院に呼び、 お前たち四人の子供を持ちながらひとりの孫の顔も見ることなく死ぬことは出来ない、 早く結婚しろと命じたのであります。

入院中の著者

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  「自然に死にたい」

 手術が不可能なため、 放射線治療・化学治療の併用と決まりました。 食道癌の手術が大手術であることは知っていました。 食道の位置の関係で背中、 腹、 喉の三カ所を切開しなければなりません。 その上で食道を全摘し、 胃の上部を引き上げて喉をつなぐわけです。 術中、 術後の患者の負担は並ではありません。 私がまだ五十代の壮年であれば耐えられるかもしれません。 しかし現在の私の体力では術中に死ぬかもしれないし、 術後の負担にも耐える自信がありません。 そして肝心なことですが、 体にメスを入れて臓器を切り取る外科手術に疑問を抱えていました。

 これほど医学が発達しながら、 癌治療が必ずしも成功しないのは、 外科手術が治療の中心だからではないか。 内臓の余計なものを切除し、 患部を切っては捨て、 また出たら切っては捨てをくり返す。 どこか間違っているのではないか。 西洋医学の攻撃的性格、 遊牧民族的発想の象徴が現在の癌治療の実態なのではないか。 決して医学にくわしいわけではないのに私は常々漠然とそう考えていました。 だから主治医にその通りの事を告げ、 手術承諾書へのサインを拒否しました。 「東洋医学で自然に死にたい」 といったのは、 東洋医学を日頃信奉していたわけでなく、 これも漠然と、 同じ死ぬならそのほうがましだろうと考えていたにすぎません。

 本来なら、 おとなしく死を迎えるつもりでした。 何もしないというのも家族に申し訳ないので、 QOL (生活の質) を高めるために毎日病院の廊下を点滴片手に一万五、 六千歩運動することとしました。 毎日の散歩は、 スリッパをジョギングシューズに履き替えて行いました。 スリッパで病棟内を早歩きすると音がするため、 ベッドに横たわっている他の患者に迷惑を掛けるからとの心配りにも気を遣いました。 又、 毎朝、 日の出には面会室より朝日を拝みました。 それが日を追う毎に仲間が増え、 ついには御来光を拝む会を発足させ、 太陽のエネルギーを頂き今日一日を元気で過ごせるようみんなで誓い合い、 患者同士のコミュニケーションを深めて行ったのです。

放射線治療

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 治療の効果あらわれる

 幸い私には抗がん剤の副作用がありませんでした。 というのも妻が奈良の病院まで出向き、 代替治療薬 (食品) を調達してくれたおかげです。 感謝するとともに、 他の患者にうらやましがられたこともありました。

 入院中は放射線治療と抗癌剤の 「5FU」 と 「シスプラチン」 を点滴で投与されたので、 放射線化学療法といっていいでしょう。 放射線化学療法は患者にとって楽なものです。 治療台に横たわって放射線をあびるのですが、 短時間ですみます。 痛みなどは全くありません。

 五週間ちかく治療をつづけるうち、 食道内に多少の通路ができたらしく、 食物が嚥下できるようになりました。

 しかし病院生活は退屈でした。 さいわい何の副作用もなかったので自由に本も読めたのですが、 なかなか本を読む気にならず、 妻や息子達が癌に関する本を次次と買ってきては置いてゆくので、 多少は義理で読んだていどです。 生涯で本を全く読まない日々もあってもよいだろうと思い、 漠然とものを考えて日々を過ごしました。 断片的にさまざまなことを考え、 考えすぎて 「これではダメだ。 思考に一貫性が欠けて、 自分はいわゆる一言居士になりそうだ」 と本気で按じたこともあります。 死を前にして生を楽しむという心境にはなかなか至らず、 実感としてはとても虚しい日々でした。

 平成十五年二月十二日、 再び食道の造影検査を受けました。 検査中、 放射線医師が途中で、 「患部がよく見えませんので、 これを飲んで下さい」 と発泡バリウムを渡してくれました。

 主治医がレントゲン写真を見せてくれました。

 びっくりしました。 食道の形が一変してスッキリしています。 団子状に重なって見えた癌腫瘍の跡形もないのです。 しかし、 無念な事に左肺に転移がみとめられ、 緊急の手術が必要とのこと。 早速、 胸腔鏡担当医師の説明を受けることとなりました。 なんと要領よく判り易く短時間での説明、 又、 自信に満ちたものであり、 このドクターなら任せられると承諾し、 二月十四日始めての手術無事終了。 三日後外泊 (宮崎) し、 一仕事済ませました。

 その後も放射線治療、 化学治療が続きましたが三月十九日退院。 退院後は郷里の病院で治療するようにとのことでした。

 四カ月の入院のあと、 私はあまり乗り気でなかったのですが、 あれだけ選挙に出ることを反対していた妻が、 今回はなにがなんでも立候補しろとすすめるのです。 主治医は絶対無理との判断でした。

 しかし、 妻の言うように癌に打ち勝つためには生きる目標をもつことが大切であるとの判断から、 五選目を戦ったのです。 一カ月後の統一地方選挙に当選するため懸命の努力をするも、 心・技・体とも思うようにならないつらい一カ月でした。 なんとか最下位当選をすることが出来ましたが、 また、 抗癌剤の治療が始まりました。

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 三度目の入院

 虎の門病院から退院して地元の総合病院に通院していましたが、 抗癌剤治療のため七月十日に入院しました。 先ずこの病院で感じたことは、 患者に全然運動 (廊下での散歩) をさせないということでした。 何故かといろいろ観察してみると点滴を電気管理しているためでした。

 一週間の点滴 (抗癌剤) が開始された三日目、 抗癌剤の副作用が始まり大変苦しみましたが、 その一つの原因が運動不足であろうと思います。 又、 一日十二種類の点滴でしたが、 三日目に内科医に来てもらい外科・内科とで私の治療方針を検討してもらうようお願いすると、 次の日から十二種類の点滴が五種類に減る。 あとの七種類はなんであったのかと不安が募りました。

  「抗癌剤が効いている限りは、 副作用があっても薬で抑えながら、 やめずに使い続ける。 それが延命につながる」 とでも思っているのか。 本当の薬剤投与ができる熟練医がいないのだから仕方がない話であるが、 抗癌剤治療は、 患者の体力や年齢を考えて薬を使い、 副作用を抑えたりする支持療法にも幅広い知識と経験が必要だと痛感しました。

 治療を続けるうち歩くことすらできなくなり、 平成十五年八月七日自主退院することにしました。

虎の門病院 退院時

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 鶴田病院への通院

 平成十五年九月二日から背部・胸部の痛みが出始めたので、 早目に鶴田病院への予約をお願いしました。

 私が鶴田病院を選んだ理由は、 「日常生活をしながら治療をする」 という同病院の方針が私の気持ちにぴったりだったからです。

 入院生活でいちばん苦痛なのは、 外界とのコミュニケーションが取れないことです。 病院という非日常の空間で、 病気になっている自分が、 どんどん内向きにマイナス思考になっていくのがわかりました。 病院の中では、 病人がますます病人になっていくんです。

 最初に入院したとき、 病室の天井を見つめながら、 「子供四人まだ独身、 これからどうなるのだろうか」 「退院出来るのだろうか」 「寿命は後どれくらいだろうか」 ……と、 たち切ろうとしても、 たち切れない不安が渦巻いていました。

 四カ所の転移がわかったとき、 実はものすごく落ち込んだのです。 でも、 車を運転していてこのまま事故で死んでも、 あるいは癌で死んでも、 人間いつかは死ぬんだな、 と、 ふと気持ちが吹っ切れました。 そして死ぬことも、 病気になることも日常の中の一つでしかないのだから、 日常の中で、 私なりの生活を送りながら病気と闘いたいと思いました。 長い闘いになればかえってありがたいのですが、 そういう人間にとっては、 日常生活をしながら治療を受けることがとても大事だと思ったのが決定的な理由です。

 九月九日初診。 鶴田病院は田舎にしては瀟洒しょうしゃな建物で、 受付からロビーもゆったりしたものが用意されており、 公共病院とはこうも雰囲気が違うものか、 まるでホテルのロビーではないかと思うぐらい患者の気持ちを和ませる心づかいでした。

 主治医の串間先生の問診。 今後の治療法が決まりました。 免疫療法については詳しく後述しますが、 一クール六回、 二週間に一回の通院ですむので、 QOL (クオリティ・オブ・ライフ=生活の質) を高めるためには一番良い治療法です。

 二回、 三回まではたいして体調の変化はありませんでしたが、 四回目で体がとても軽くなり、 散歩しても疲れもなく昼寝もなくなり、 夕方の疲労感もなく、 健康体の時のような体調で気分がよく毎日が過ごせるようになりました。

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 PET検査の結果は白

 十二月二十五日最終治療終了。

 治療の結果確認のため、 平成十六年一月十五日に行ったPET検査の結果は白。 検査技師・主治医、 ナース等々からの喜びの声。 私達よりも先生の方が喜んでいられるようです。 私は最初から絶対治ると信じ、 この免疫治療法を選んだのだから、 この結果は当然と考えていたので動揺なしです。

 今後は予防のため、 月一回程の治療をお願いし、 決して油断禁物と心に誓いました。

 

 PETはポジイロン・エミッション・トモグラフィの略で、 陽電子放射断層撮影装置と略されています。

 PET検査は、 超音波やCT、 MRIなどのように、 体の内部にあるものの形を撮影する画像診断ではなく、 放射性同位元素を使って血流や代謝などを検査する、 核医学検査の一つです。

 特徴としては、 数ミリ程度の小さい癌も発見できること、 腫瘍が良性か悪性かの判断ができること、 悪性度が診断できること、 一回の検査で全身を映し出すことができるため癌の広がりや転移を検出できること、 苦痛や不快感がなく短時間で検査できること、 などが挙げられます。

 従来の検査に比べて、 十倍から二十倍もの検出率で癌が発見できる、 画期的な画像診断のことです。

 PETは、 脳の代謝を見ることを目的に開発されました。 脳の神経細胞は糖分を多く消費するので、 その代謝を見ると神経細胞の活発度が分かりますから、 神経細胞の働きが悪くなって起こるアルツハイマー型痴呆の早期発見に効果的であり、 また、 てんかんや狭心症、 心筋梗塞の検出も可能です。

PETカメラ ---鶴田クリニックパンフより

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 第二章 免疫細胞療法

 

 

 瀬田クリニックとの出会い

 なんとか転移を阻止できる効果的な方法はないものかと、 いつも頭の片隅にその思いがありました。 いろんな癌に関する記事にはつねに目を通すようにしています。

 ある本に 『がん治療第四の選択肢    免疫療法とは』 東京大学名誉教授江川滉二氏の著書が掲載されていたので早速入手しました。

 東京大学医科学研究所の前教授が、 みずからクリニックを開いて癌に対する 「免疫細胞療法」 を行うことが書かれてありました。 東京大学医科学研究所、 通称医科研は通常の医療よりも研究的な最新医療が主な目的の医療機関であるとの事でした。

 新聞で瀬田クリニックの記事を読んで、 瀬田クリニックに問い合わせて、 詳しい資料を取り寄せました。 医療従事者向けの資料も同封されてきました。

 内容はかなり専門的で難解でしたが、 その意味するところは何とか理解でき、 同時にこれは効果が期待出来るのではないか……と思いました。

 大体において 「○○でガンが治った」 という民間療法の話は基本的に信じていません。 特に、 その手の療法について書かれている本などを読むと理論の部分がいいかげんなものが少なくありません。 癌が消失したとか、 病気を克服したという話ばかりを羅列した本は、 私に言わせれば 「オバケを見た」 という話を集めた本とたいして違わないのではないかと思っています。

 癌患者やその家族達には、 わらにもすがりたい気持ちの人達が数多くいます。 そのような人達を対象に癌治癒がたちどころに可能のような表現の本が多数あることは、 あきれるのを通り越して怒りすら覚えます。

 話が横道にそれました。 癌の転移防止のために、 瀬田クリニックの最新医療を受けてみてはどうかと妻からの助言もあり、 私は了解しました。

 しかし、 健康保険がきかないため、 全額が自己負担になることも問題でした。 私は 「癌は転移が一番の問題なのだから、 その予防として期待できる治療ならば受けるべきだ。 費用が高額なのは確かだが、 再発して治療することになれば結果としてもっとお金がかかるのではないか。 子供の歯の矯正だって、 これぐら
いは覚悟しなければならない時代なのだから仕方ないだろう」 と決心し、 予約の申し込みをしました。

 しかし、 予約で一杯。 当分治療を受け入れられないが、 宮崎県の西都市にある鶴田クリニックで同じ治療が出来るとの紹介がありましたので、 第一章で話しましたように、 同病院を訪ね治療開始、 早速CT検査を受けたわけです。

 そのとき、 私の癌は、 前ページの写真にも分かりますように、 すでに両肺とあと二カ所、 計四カ所に転移しておりました。


著者 平成16年1月15日検査のPET報告書

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 活性化自己リンパ球治療

 瀬田クリニックグループは、 活性化自己リンパ球治療法を中心にして、 免疫療法を広く実践しています。

 実際の治療は、 基本的に以下の手順で行われます。

 まず二週間ごとに患者から二十〜三十ミリリットルの採血を行います。 採血から二週間後、 後述する方法で培養された免疫細胞を、 通常三十分ほどかけて腕の静脈から点滴投与します。

 それを六回受けるのをワンクールとし、 その後様子を見て、 継続するかを決めることになっています。 私の場合、 前述したように、 四カ所の転移は消滅し、 平成十六年一月のPET検査の結果が白でしたので、 予防のための治療法が決まりました。

 これらの治療法を行う場合、 患者にとって最も大きな問題のひとつが費用です。 今のところ健康保険の適用がないからです。 通常二週間に一回行う治療に二十万かかります。

 免疫治療法の場合、 患者一人ひとりに合わせて細胞を培養する必要があるので、 薬のように大量生産することができません。 実は、 経費的には抗癌剤も高いのです。 ただし、 抗癌剤はエビデンス (統計的な有効性の証明) が得られていれば保険の対象になります。 免疫細胞療法はそれがまだありません。 日本中どこでもできるようにならなければ、 保険の対象になりません。 そのためには、 エビデンスのある治療法がしっかりと確立されなければならないのです。

著者の食道癌写真  市民の森病院検診センター

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 自然治癒力

 自然治癒力は、 人間本来誰でも持っているものです。 いや、 人間にかぎらず、 動植物をはじめとする生物全部が持っているものです。

 下等生物であればあるほど、 その復元力は著しいものです。 例えばトカゲの尾を切断しても、 日ならずして元どおりに生えてくるし、 魚の尾鰭をハサミで一部カットしても、 元どおりに生えてしまいます。 しかし高等動物である人間は、 そうはいきません。 指を一本切断しても、 元どおりに生えてくるというわけにはいきません。

 しかし、 この人間も自然治癒力があればこそ、 寿命まで生き延びることが出来るのです。 自然治癒力は、 西洋医学の注射や薬をもってしても左右することのできない治癒能力なのです。 注射や薬、 メス以外で病気を治すことを極端に忌み嫌う西洋医学でも、 身勝手な話ですが、 自然治癒力による疾病の治療だけは認めているようです。

 自然治癒力が人間になかったと仮定すると、 人間はだいたい生まれて十年目までに死亡しているはずです。

 例えば、 子供が自由奔放に遊びながら成長していく過程で、 石につまずいて転んだり、 川遊びで岩の角で足を切ったり、 山登りをしていて転落して肋骨や手足の骨を骨折する、 など必然の現象です。 そういったとき、 例えば転倒してひざをすりむいたとします。 小さな傷であれば、 水で局所を洗って、 バイ菌が進入しないようにしておけば、 注射、 薬、 局所の手当てをしなくても、 数日で元どおりに治ってしまいます。

 深く考えれば不思議なことですが、 人間のもつ自然治癒力によって、 いつの間にか元どおりになってしまっているのです。 この病気を治す力は、 人間誰でも自然にもっているものです。 自分自身が病気を治す名医なのです。

活性化リンパ球療法(月間がん もっといい日)2004年1月号より

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 免疫力

 この免疫力も、 人間本来もっている、 私自身を病気から守る、 誰にでもある治癒力なのです。 しかし、 免疫力に限っては、 注射や薬によってその力を人工的に高めることができるのです。 免疫力を利用する薬品の中には抗がん剤もあります。

 免疫という言葉は、 字のごとく 「疫」 を 「免」 じてもらうことで、 人間は病気に罹っても、 その人の本来もっている 「疫」 を 「免」 じる力によって病気を治し元どおりの体に治してくれます。

 自然治癒力が、 人工のおよばない全く自然力に対して、 免疫力は、 人工的に注射や薬によって増幅させることができます。 自然治癒力の消極的な現象に対して免疫力は積極的、 攻撃的な作用を発揮します。

 いったん緩急あれば全軍出動といった具合に、 バイ菌が体内に侵入すると、 白血球やリンパ球に出動命令が下り、 バイ菌の周りをとり囲み、 そしてバイ菌を食いつぶしてしまいます。

 自然治癒力、 免疫力とはどういうものか、 理解していただいた上で、 次の免疫治療法はどういう治療法か、 一読願いたいと思います。

癌が跡形もなく消滅した。ここら辺にガンがあったと思われる部位のルゴール色素

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 癌細胞と免疫細胞

 癌が発生するとき、 体の中の一個の細胞が突然変異を起こして癌細胞になり、 それが増殖して癌のかたまりをつくって、 癌という病気になるそうです。

 ところが、 私たちの体の中には、 いつも癌細胞が発生していると一般に考えられています。 それは、 私たちの体は六十兆個とも七十兆個ともいわれるような、 ものすごい細胞をもつ体が六十年も生きている間に、 そのただ一個の細胞だけが突然変異によって癌細胞になるなどということは、 確率が低すぎて、 とても考えられないというのが、 そのおもな理由のようです。

 そうすると、 体の中に生じた癌細胞の大半は、 かたまりまで増殖する前の芽のうちにつぶされてしまっている、 というふうになります。 これをやっているのが、 免疫細胞だと信じられているのです。

 つまり免疫細胞にはもともと癌細胞に対抗して、 これを抑え込もうとする力があるわけです。 たまたま癌細胞がなにかの理由で免疫細胞の監視をくぐり抜けて増殖を始めると、 力のバランスが癌細胞の側に傾き、 免疫細胞が抑えきれずに、 癌細胞がどんどん増殖してしまうことになります。

 このとき、 力のバランスを再び免疫細胞の側に傾けるためには、 癌の力をそいでやるか、 免疫細胞の力を強力にしてやるほかありません。

 癌の力をそぐことを目的にしたのが、 今までの通常療法です。 その中でも、 抗癌剤などは、 癌の力をそぐけれども免疫の力も弱めてしまうので、 力のバランスを免疫側に傾けることにはなかなかなりません。

 これに対して免疫療法は、 免疫細胞の側の力を強めることによって、 力のバランスを免疫細胞の側に傾けようとするものです。

 しかし、 癌はそのままそこにあるのですから、 免疫の力をよほど強めてやらなければ、 力のバランスが免疫のほうに傾くことにはならないでしょう。 ここが免疫治療の難しいところのようです。

(月刊がん もっといい日)1月号より

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 Tリンパ球

 免疫細胞にもいろいろあり、 時代によって癌に対する免疫反応の中心と考えられたものもまちまちですが、 現在では、 癌に対していちばん強力に、 また中心的に働いているのは、 やはりリンパ球、 それもTリンパ球という種類のリンパ球だと考えられているそうです。

 そこで、 現在の癌の免疫療法は、 Tリンパ球の力を直接・間接に強めることを軸としております。

 体の細胞の一部を体外に取りだして培養し、 その間にいろいろな性質を与えたうえで体に戻すことによって病気の治療をしようとする方法を、 細胞療法と呼ばれています。

 実際に、 患者さんから採取してきたリンパ球を体外で培養しながら刺激することによって、 T細胞の癌に対抗する力を飛躍的に強めるようです。 さらに、 これを培養することによって、 対抗する免疫細胞、 それも中心となるTリンパ球を活性化し、 数もふやして患者に戻せば、 力のバランスを免疫細胞の側に傾けることも可能だろうということです。

 すなわち癌細胞をたたく兵隊を何十万倍もつくり送りだすことです。

 原発部位、 転移癌がある場合は抗癌剤を併用する場合もあるようです。

(月刊がん もっといい日)1月号より

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 第三章 癌患者の心得

 

 

 癌であることを受け入れよう

 告知や宣告は嫌なことば。 ドクターに癌といわれたら誰でもドキンとするし、 だと思うし、 目の前が真っ白になったりします。 頭の中がパニックになり、 何も考えられなくなります。 どうして今、 自分がこんな病気になったのかと、 何とも言えない複雑な気持ちになって、 人によっては人生が終わったような気分にもなります。 みんなそれぞれの思いを持って、 フラフラしたり、 ボーっとして診察室をでたり、 大変ですが、 出来るだけ早く自分をとりもどしましょう。

 まず、 にも角にも癌になったことを認めましょう。 誤診も時々あることもありますが、 高度な検査の時代、 そんな例外中の例外は考えない方がよいでしょう。

 では、 癌と分かったらどうしたらよいでしょうか。

  うろたえないこと。

  なげかないこと。

  ぐちを言わないこと。

  自分を責めないこと。

  大げさに考えないこと。

   「よし頑張ってみる」 と決意すること。

   「まだ死んではいない」 などと思ってみること。

 今の時代、 癌は必ずしも死ぬ病気ではありません。 様々な治療法が開発され、 むしろ元気になって、 社会復帰をする人が多いのです。 自分で早目によい病院を見つけ、 一所懸命頑張って、 必ず良くなると確信すること。 一日でも、 一分でも早く心の冷静さを取り戻すこと。 癌になったからといっても時間の過ぎるのは同じ。 身の回りのことも、 毎日同じで変わりません。 変わるのは、 自分の気持ちと生活だけ。 今が一番大切な時。 すべての能力を集中し、 大事な人生の局面と対決していきましょう。

 癌は、 ともすればつき合いの長い病気。 あせらず、 あわてぬことも治療の一つ。 短距離型よりも長距離型の方が有利。 息切れしないよう、 スタミナの配分も考えておきましょう。

 癌は自分の問題。 素直に癌であることを受け入れ、 今からの人生を常に前向きに生きていきましょう。

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 自分の癌についてよく知ろう

 自分の病状について知りたくない、 知っても仕方がない、 知ってもどうせ同じことだ、 知ることが恐ろしい、 知らなくてもいいんだという人がいます。 こんな態度が一番良くありません。 自分の病気のことを、 自分が知らなくてどうするんですか。 神経質になる必要はありませんが、 どこに病巣があって、 どんな状態で、 どんな風になっているか、 いろんなことを知って知り過ぎることはありません。

 時には病状を聞くのがつらい時もあるでしょう。 良くなって行く時は嬉しいが、 進行悪化する時には耳をふさぎたくなります。 併しそんな時程、 病状についてよく調べましょう。 スポーツでもそうですが、 相手のことを良く知れば知る程勝つ機会は多いのです。 自分の病状を良く知り、 それに充分対応していきましょう。

 今こそめったに出来ない人生最大の勉強をする機会と考えましょう。 さあ、 分からぬ事はどんどん人に聞きましょう。 本や雑誌やインターネットも見ましょう。 詳しくすべてを調べていくにつれ、 そこに奇妙な安らぎが出てきます。

 病院の中でも、 レントゲンを撮れば、 その場で、 「放射線の影響はありませんか」 と聞き、 エコーをしてもらえば 「どんな状態ですか」 と尋ね、 主治医には、 常に質問を重ねてみましょう。 看護師には、 何の為に何の注射、 点滴をするのか、 その結果はどうなるのかを教えてもらうこと。

 癌の勉強は奥深く、 無限ですが、 最低限自分の癌について知っておくのは賢明なことです。

 調べて分かったことは会話の中で使ってみましょう。 ドクターも自分の病気について詳しい人には話す態度も内容も違ってきます。 より深く、 より納得出来る対話をすることで、 とられる処置もスムーズに運ばれます。

 自分の癌についてよく知ることは、 プラスばかり、 GANマンの第一義務、 と心得ておきましょう。

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 自然治癒力を最大限に

 植物でも動物でもあらゆる生物には生まれながらにして、 有り難い不思議なパワーがそなわっています。 それは、 「自然治癒力」 といわれるものです。 傷を受ければ傷口を小さくして元通りにしようとし、 異物が入れば取り除き、 つつみこんで無害化しようとします。 意志に関係なく働く神秘的な力であり、 自然にほっといても、 自然に回復する力です。 この治癒力を癌治療にも利用して、 少しでも病状軽減に役立てようとする、 新しい医療機関も多くなっています。

 気分が明るいと食事もすすみ体調も良くなり、 血行がスムーズになって細胞が活性化し、 治癒力の働きも早く強くなるはずなどとして、 自然治癒力を高めるためのマニュアルまであります。

 ただ、 意志や精神力を使う時はもはや自然回復とは違うこと、 意志治癒力、 精神力利用治癒力と呼ぶべきものです。 気持ちの持ち方をプラス思考にしたり、 必ず良くなるという信念をもったりする他、 意志の力で治癒力を高める行為をすること。 悪いことを止め、 良いと言われることをするのも精神力。 心理学的な治療法も意志治癒力利用の分野。 念力や自己暗示法も意志の力によるもの。 ホリスティック医学を研究する人々が、 「意志治療学」 「精神的治療学」 などのタイトルで学問的体系作りをして頂ければ嬉しい。 これからの癌治療には新薬発見以上に、 必要かつ効果的なものと思うからです。

 自然治癒力を最大に生かす意志治癒力の活用こそ本命。 癌患者は自然回復力が働きやすいように、 意志の力で自分の体に協力をしてやりましょう。 食事、 運動などに気をつけることが精神力。 明るい気持ちで生活するのも意志力。 「病は気から」 のことわざどおり、 病状を良くも悪くもするのも心の働きによります。 つらくともきびしくとも耐えることは耐え、 常に前向きの姿勢で頑張っていきましょう。

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 医師と患者の責任分担を果たそう

 私は、 癌を治すのは医者が半分、 患者本人が半分の責任分担になっていると信じます。 患者本人があきらめて、 サジを投げてしまっている場合、 医者は患者責任分まで踏み込んで治すということはできません。 それに対し、 患者が本人の責任分をパーフェクトに果たすことができるようになると、 医者の領分にまで踏み込んで加勢することになります。

 重篤の癌患者で生き延びた人にその例外はないように思います。 時として、 医者側がサジを投げてしまったものを、 本人責任分を二〇〇パーセント果たして勝利に導いた例も多々あります。

 では、 その本人責任分というものは何なのでしょうか。 そしてまた、 それは特殊な人にしかできないというのでしょうか。 そうではなく、 誰でもできることなのです。

 私が体験を通して得た、 癌を治す基本戦略は何なのか、 家にたとえてふれてみましょう。

 心のコントロールがすべてのベースであり、 家の土台です。 この上に正しい食事と運動 (私は退院以来、 雨の日、 風の日、 暑い日、 寒い日であろうとも毎朝四時に起床し約四、 五十分散歩) を通じて呼吸法などによる気の強化という一階部分が築かれねばなりません。 これらの上に初めて、 二階部分を構成する西洋医学・東洋医学、 それにさまざまな代替医療とよばれるものが乗るのです。

 私は、 「心のコントロール」 と 「食事」 と 「運動による気の呼吸」 が、 治療以外に必要とされる三大要素、 私の言う医師の責任分以外の自己責任部分の要であると、 自分なりに感じました。

 幸い、 私の住む青島は、 この 「気」 に満たされていると思います。 私は、 その恩恵を大いに利用させて頂きました。

 私は免疫治療法を最終的に選択したのでQOL (生活の質) を高めるため、 前述の三大要素が実行可能でした。

 医師の責任分担分はドクターが責任を持って治療にたずさわっていただくことで見事果たされ、 そして私は、 その思いに報いるために患者としての自己責任部分を一所懸命に果たしました。 その二人三脚の結果が完全寛解というフラッグであったと思っています。

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 第四章 がんで得たもの

 

 

 感謝の心

 病気になるまでの私は、 それまでの人生すべてにわたって順調に過ごして来て、 今から見ると大変に驕り高ぶっていたように思います。

 自分は人に何をしてあげられるのかよりも、 人は自分に何をしてくれるかを待ち、 或いは求めていました。

 それが大病によって、 自分がそれまで価値があると思い込んできた、 地位や名誉や収入といったものが完全に崩壊し、 ただの死にそうな病人になった時、 この世にとって何の価値もない衣をがれた生身の自分をいやというほど見つめさせられました。

 衣をがれた私を見て、 今までチヤホヤしてくれていた人の中に、 手のひらを返すように知らんぷりをする人達もいました。 (選挙運動で他陣営を加勢しているなど) しかし多くの友人達が、 どうせ遠からずダメになりそうな自分のために病室に来て励ましてくれたり、 留守を守っている弟や神社職員に電話をくれたりして支えてくれました。

 大変に有り難く感じました。

  「有り難い」 という言葉の意味が私には初めてわかりました。

  「有り難い」 とは有ることは難しいぐらいの特別な好意に対する感謝の言葉だったのだということを。

 長い間全く枯れていた涙が、 一寸したことで出るようになってしまいました。 テレビを見ていて感動したりすると出てきます。 もちろん、 本当の親切を受けたりすると、 すぐに出てきてしまいます。

 昔、 中学を卒業する時に、 担任の先生から〈美しいものにはほほえむがよい。 涙は常に干かずにあれ〉という言葉を贈られました。なんてキザなことを書くんだろうなどと当時は思っていましたが、 先生の言っていることの大切さが今になってわかってきました。

 このことを忘れてしまった人間はずっと仮面をつけたまま仮面を外せなくなってしまって、 仮面をつけていることを知らずにつけ続けている人間だといま私は思います。

 人から受けた情は、 それをくれた当人に直接返すのは難しいものです。 結局、 全然別の人に対して心を掛けるしかありません。 こういう形でしか返せません。 そして、 それでもよいのではないかと思います。

 万事順調な時は、 欲望は限りなくふくらみ、 幸せ度を測る目盛の百点満足の位置はとてつもなく上のほうにあります。

 一千万円もらっている人は二千万円の人と比べて不満です。 二千万円の人は億万長者を見て不満をいだきます。 一億あれば十億欲しくなります。 マンションに住む人は一戸建てが欲しくなります。

 ところが死を目前にしてみると、 物的なものの価値が幻影だったことを身にしみて知ることとなります。

 棺の蓋が自分の顔の上にまさに閉まろうとしている時は、 お金や物は何の価値も持ちません。

 自分にとって、 自分の人生は有意義であったか。 自分が生きて来た過程でどれだけの人を喜ばせることができたのか。 ……それだけが自問され、 自分では情けない点数しかつけられず愕然としました。 もう手遅れですが、 本当にやり直せるものならやり直したいという気持ちでした。

 今、 残り年数はどれだけかわかりませんが、 やり直しのチャンスが与えられているのです。 そして、 生を満喫しているのです。

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 一期一会の心

 幸せの目盛の百点のレベルが、 何だかうんと低くなってしまった今、 庭の花が一斉に咲き乱れるのを見たり、 素晴らしい朝日に手を合わせたり、 又、 議会活動が充分に出来たりすると、 いずれも百点満点の幸せランプが点灯してしまうのです。

 仕事しか眼中にないというような生活をしていた頃、 一年の長さが年々短くなり、 「昔の一年はもっと長かったのにどうしてだろう」 と感じていましたが、 最近の一年は、 振り返ってみてもまた長くなってきました。

 人生の時間感覚は、 普通対数目盛状になってしまうものです。 子供の頃の一年はうんと長く、 年とともに一年が短くなっていきます。 一年の間に、 「生きている実感」 を感じる場面が数多くあればあるほど、 そのシーンを記憶する脳のメモリが多く必要とされ、 プレイバックした時の時間感覚も長く感じられるのでしょう。 従って一カ月、 一年の時間感覚の長短は、 ほぼ、 人生に対する満足度=幸せ度に比例します。

 私なりの幸せの定義があります。

  「これであとお金さえあれば、 という状態。 それが幸せというものである」

 なまじお金があると、 物欲を追ってしまいます。

 人は死すべきものという言葉があります。 人は必ずいつかは死ぬ。 このことは誰も皆わかっている。 わかっているが誰もが終わりの時は今ではなく、 ずっと先で、 当面はそんなことは考えないで済むと思っている。 ということはいわば、 あたかも無限の時が与えられていると思っているのと同じで、 貴重な一週、 一カ月、 一年を、 つまらぬ生き方で浪費してしまっています。

 私は今、 ダメージを受けている体が、 まあまあ健康な状態でいてくれて人生が楽しめる期間はそんなに長くは続かないでしょう。 その間にいろいろな事をしておきたい。 癌を患う人達に自分のノウハウを伝えたい。 やりたいことは山ほどあります。

 自分の人生の時間が有限で、 しかもあまり長くないことがわかると、 一週一週を大切に、 色濃く生きることができます。

 一期一会という言葉は知っていましたが、 自分の行動にこの言葉を反映させるようになったのは、 病を得てからでした。

 長い間闘病生活を送ってきたので、 精神的、 肉体的、 社会的なダメージはまことに大きかった。 しかし、 これによって得たものは、 ダメージ全部補って余りがあるほど、 自分にとって大きい。 その総合収支は黒字です。

 今の満足度は、 癌になったからこそ得られたものと思います。 その意味で、 病気に感謝しています。

 むろん、 生還できたからこその幸せであり、 生還ならしめるのを支援してくれた家族、 医師、 ナース、 友人知人の方々を含めたこれらの多くの人達に心からの感謝を捧げたいと思います。

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 第五章 妻の看病日記抄

 

 

平成十四年

 十一月十九日  かねてから胃の異常を感じていたようで、 検診のすすめに応じた。 年内一杯予約でうまっているとの事だったが、 キャンセルがあった場合の連絡を待っての受診。 本人もうすうす感じていたようだったが、 やはりガンの宣告。 胃でなく食道との事。 痛みも訴える。 なぜ早く言ってくれなかったのか。 早く言ってくれたらと悔やまれる。 男のやせ我慢の典型的な例。

 十一月三十一日 胃のカメラで細胞をとって検査にだす。 結果は二十六日、 その日と二十九日CT検査との事。 ここに至っても、 酒、 タバコやめる気配なく、 こうなると飲まずにいられない気持ちは分かるが、 飲める事は大丈夫という事なのかと安心してみたりもする。

 十一月二十三日 娘が帰省。 心強く思えるが、 娘を見る隆二さんの顔がやさしいのがうれしい。

吉沢さん (宮医大医師) の話を聞くと、 又落ち込んでしまったり、 とにかく二十六日の結果が早く知りたい。 早く手術しなくては。 最悪の場合を考えていろいろと心づもりもしなくてはと二人で話す。 自分の事を話す時は強い男でも、 子供の事を話す時はつい声もくもってしまう。 「宮司」 は安隆に頼めるとしても、 生還した時の生きがいは何に求めればよいのか。 今の所、 選挙には絶対出るという事を目標にしているが、 現実にはそう甘いものではないだろうが、 でも当分はそういう事で頑張ってもらおう。 もうあちこちで 「オレはガン」 と言って廻っているのでどうなることやら。

長谷川温雄さん (医師) はじめいろいろ心当たりの人に、 絶対助けてくれる病院なり、 医師を捜してもらうようお願いする。

 十一月二十四日 温雄さんよりTEL、 大分医大付属第二外科、 北野正剛という先生がいらっしゃるとの事。 吉沢さんよりメール。 虎の門病院が都内では良いだろうとの事。 虎の門がいいとなれば大原先生に頼もう。

 十一月二十五日 終日隆二さん議会。 午後元気に帰宅。 会派の人が余り本気にしなかったとの事。 夜、 史子さんからTEL。 東京女子医大はどうかの連絡。

 十一月二十六日 CT上部検査、 リンパ節への転移、 肺気腫の疑いあり。 病院からのTELで胸しめつけられる思い。 比較的元気に本人帰宅。 今後の事を検討。 大原事務所に虎の門病院へのアポを頼む。

 十一月二十八日 予約していた本が届く。 早速通読すると、 いつも隆二さんが言っているような病気を治すのは西洋医学が100%ではない……ような事が書いてあり、 代替食品により免疫力を高めれば完治も夢ではないという記述に心強い思いをいだいた。 今日は議会一般質問通告〆切日、 何番クジだろう。 ここに至っても質問をやめない。

 十一月二十九日 今日、 最終結果のでる日。 検査の結果は第三ステージの食道平上皮ガン4p、 首のリンパ節にも3pの転移有との事。 早速虎の門病院馬場先生へ状況説明書をFAXで送信。 折り返し、 宇田川先生へ再来のFAXを送る様にとの事。 受診日は月曜との事。 待ち遠しい。

夜、 渋民病院々長宅へTELするが留守、 残念。

 食道ガンの治療法

〇〜一期=がんが粘膜にとどまる場合は、 口から入れた内視鏡で切除する治療が標準。

二〜三期=がんが食道の筋層を超えて広がるなどの場合。 手術だけの治療、 放射線と抗がん剤併用治療のほか、 手術前に放射線と抗がん剤を使う臨床試験も進んでいる。

四期=多臓器に転移がある場合。 手術は通常せず、 放射線か抗がん剤、 または両者の併用治療を行う。

 十一月三十日  終日痛い様子、 とうとう午後アガリスクを買いにいった。

 十二月一日   今日も痛い様子。

 十二月二日   虎の門病院TEL、 宇田川先生から直接あった。 空ベッド待ちだが、 とりあえず五日診察していただけることになり安心。 各方面に連絡する。

 十二月三日   今日一般質問、 いつも通り迫力ある質問。 職員も熱心に聞いていた。 一人、 市長のみにやりにやりしていた。 聞いていると指摘されたことはしごくもっともな事。 これでは答弁できる筈もない。 答弁はさしひかえるとの答弁に休憩。

仕方なく帰った。 病院からのTELで四日入院してくれとの事だったが、 五日にしてもらう。 入院が決まった事を告げ帰宅。

 十二月四日   上京、 後に残る義母 (九十四歳) の顔に涙をさそわれる。

         明治神宮参拝、 安隆・隆三と四人で食事。

 十二月五日   入院、 検査を詰め込んで早く終わらせ治療するとの事。 東京のベッドは皆カーテン引いてうっとうしい。

漢方薬つかっても良いとの事。   

 十二月六日   十時半よりバリュウム検査。 午後、 歯科、 耳鼻科、 続いて超音波 (腹部・頸部)。 六時終了。

 十二月八日   奈良の病院へ行く。

 十二月九日   小さな町医者だが、 遠方よりがん患者が多い。 免疫力を高める薬、 体力保持の薬をもらう。 高価だが少しでも治療に役立つ事をいのる。 本日から放射線治療、 抗がん剤投与始まる。 頸部の転移部分の方が心配と告げられる。 放射線でどれだけ小さくなってくれるかにかかっているようだ。

 十二月十六日  十二日より帰省して宮崎でのいろいろな用事を済まして上京。 貞治・隆三が病院で待っていた。

 十二月十八日  吐き気をもよおすも家族でいろいろな話をする。 大原代議士が見舞いに来て下さる。

 十二月二十日  外泊許可がでる。 三時の点滴終了後、 帰省。

 十二月二十一日 職員一同、 宮司の元気な様子に安心した様子。 地区中に元気な姿をアピールして廻る。 地元では、 もう生きて帰れないとのが広がっている。

 十二月二十三日 元気を振りまいて帰ってきたのはいいが、 病院が近づくにつれておとなしくなる。 早速点滴開始。

 十二月二十五日 のどの痛みを訴え始める。 放射線の影響との事。 その後も十二月三十日続く。

 十二月三十一日 正月のため、 最終便で宮崎に帰る。

隆二さんは隆三と長谷川社長宅で正月を迎える。 高校時代から初めての正月休み。

平成十五年

 一月十一日   点滴終了と同時に一時退院し宮崎へ。

 一月三十日   いよいよ再入院、 渋々東京へ向かう。 隆二さんは、 手術への疑問を感じている。 私もそれを良とはしないが、 検査結果をみて考えよう。

 一月三十一日  内視鏡検査。 一日中機嫌悪し。 食道ガンが消えていた。 外泊を進められるが、 気乗りせず。

 二月三日    超音波の検査。 部長回診あり。 患者のための回診にあらず。

 二月四日    大腸の内視鏡検査。

 二月五日    再入院一週間。 相変わらず検査漬け。 朝、 昼抜き、 不機嫌この上なし。

 二月八日    外泊はしてみたものの余り元気なく心配。

九〇〇〇歩近く歩いて、 昼食を取り早々と病院へ帰る。 「ベッドの方が良くなるとは情けないもんだ。」 との言葉に涙をのみこむ。

 二月九日    堤先生の話で、 肺に転移らしきものが有るとのこと。 一日中気持ち頭重し。

 二月十日    やはり肺に転移。 肺の胸腔鏡の手術との事。

隆二さん、 落胆の様子がありありとみえる。

ただちに安隆を宮崎に帰すことを決める。

安隆了承、 三月で明治神宮をやめさせて頂く様挨拶に行く事にする。

 二月十二日   胸腔鏡の先生の手術の説明、 判り易い、 安心。

 二月十四日   胸腔鏡手術、 無事終了。

 二月十九日   外泊。

 三月一日    肩の痛みがでる。 五日CTと骨シンチ検査。 異常なし。

 三月十九日   点滴、 放射線終了後退院、 退院に当たり先生からくわしい説明が得られなかった。 フィルムはあったが数値がなかった。 後の事は何も分からないというのが本音だろうか。 神のおぼしめしのままという事か。

 三月二十七日  紹介状をもって県病院へ行く。 血液検査、 レントゲン検査共に異常なしとの事。 白血球四四〇〇。

 五月八日    血液検査し異常なし。

 六月十九日   CTの結果、 肺に二つの転移有りとの事。

 六月二十四日  都城藤元病院でPET検査。 左右両肺首のリンパの転移と後一カ所、 計四カ所に転移がみつかる。

 六月三十日   県病院入院前説明診療。 一時間半待って話一分、 詳しい事は入院してからの事。 馬鹿にしている。

夜、 虎の門病院堤先生に手紙をしたためる。

 七月二日    堤先生よりTEL有り。 感謝。

現状では抗癌剤治療の他道なし。 当地でも東京と何等変わらないだろうとの事。 一抹の不安。

 七月十日    県病院へ入院。 豊田先生から虎の門病院の堤先生の指示通り、 抗癌剤、 放射線治療との事。 先ず、 一安心。 聞きかじりによると、 5FU・シスプラチン・タキソテールの三種類混合の効果が肺癌には顕著なるデータ有りとの事だが、 今日までは、 このままで様子をみるとしよう。 5FU・シスプラチン投与。

         抗癌剤点滴開始。

 七月十九日   少し、 吐き気あるも外泊希望。 強要する。

しかし、 帰宅後も体調すぐれず。

 七月二十日   一晩中、 吐き気止まらず。 少し弱気。 副作用になれてないので気がめいっている様子。 三時に帰院しよう。 脱水症状ではないかと思うが、 あれ程多量の点滴をして脱水症状になるのだろうか。 即、 点滴。

 七月二十二日  看護師にも小言を言うようになり、 元に戻ったという感じ有り。 先生はあくまでも副作用というが合点がいかぬ。 治療法は 「虎の門の指示だから」 と言うばかりで主体性がない。

 七月二十三日  内科医の診察願う。 点滴も明日より半分になるとの事。 我等の主張の勝利。 医療にトータルプランニングというのがない。 虎の門病院からの指示という事で、 現場の医師としての主体性がない。

 七月二十六日  夏祭り。 御発幸祭のみ奉仕して病院。 前日より、 ポカリやアクエリアスをたっぷり飲めといったり、 腹一杯食べてきなさいと言ったり、 先生の糖尿病に対する認識のなさに不信感有り。

 七月二十八日  点滴開始。 その後も吐き気、 食欲不振続く。

 八月七日    強引に退院。 抗がん剤の害毒か顔色悪し。 変な黒色。 手先、 足先真っ黒。

 八月十八日   退院後、 歩けなかったが、 少し元に戻った様子だ。

 九月二日    背部・胸部の痛み訴える。

 九月九日    鶴田病院初診。

主治医は四十五歳前後の話し好きな方、 自分も癌患者の体験者として話をされた。 私達は納得づくで求めて行っているので、 何等異存はなく、 次の治療を約束して帰った。

 十月二日    第一回目の免疫活性化療法。 約一時間で終わる。

次回CT予約。 PETも先生はしてみたいようだが、 保険は対象外とのこと。

同じ癌で対象になるものとならないものとの区別は何をもってするのだろうか。 それに保険外摘要の治療は診察費も適用外だろうか。 費用一万円だった。

 十月七日    免疫療法をして四日目。 体がとても軽いといってフットワークよく散歩に出て行く。 昼寝もしないし、 夕方の疲労感がなく調子いいぞと言っている。 今後が楽しみ。

 十月九日    CT検査、 癌の影見当たらず、 今は寛解状態。 めでたし、 めでたし!

 十一月四日   第三回治療終了。

二年振りに釣に行く気が出てきて、 三、 四回出航する (手こぎボート)。

体重も増加。 47sから56sへ。

 十二月二十五日 一クール (六回目) 終了。

平成十六年

 一月十五日   PET検査中、 一時間半の間、 心乱れる思い一切なし。 大丈夫との思いで検査結果を待つ。 医師、 検査技師共々驚異の結果に喜びの声。 私より先生方の方が喜んでいるようだ。 私の方は無知の勝利、 信じる事で動揺なし。

今日はコップ一杯 (焼酎) だけよけいにサービスしよう。

今後は本人の内清浄、 外清浄の努力にかかっているだろう。 先ずは万歳!

 

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 死の宣告を吹き飛ばせ

 

  「俺らはドラマーやくざなドラマー俺らが唄えば嵐を呼ぶぜ……♪」

 私の夫はこの歌を地でゆくような人です。 勿論、 他人から見れば、 容貎、 体型は似ても似つかぬ人でしょうが、 私には裕次郎や加山雄三に思えるのです。 側で吹き出している人がいますが、 笑わば笑え、 頭の中でどう考えようと自由でしょう?

 でも、 夜になるとその夢も一瞬にして崩されるのも現実です。 夜の仇名は 「タコ隆」。 口をとがらせて、 悲憤、 公憤、 口角泡を飛ばして演説していたかと思うと、 クネクネと寝てしまいます。

 その、 病気とは縁の無さそうな夫が突然、 「食道癌」 の宣告、 それもリンパに転移のある末期癌。

  「この人が死んでしまうのだろうか」

 私には夫がいなくなってしまう、 という現実が受け入れられないばかりか、 想像しようとしても出来ません。 死の場面をイメージしようとしても私の真っ白な頭のスクリーンには一場面も映し出される事はありませんでした。

  「よし、 この人は死なない。 それなら最大限の 『生』 の道をさぐろう」

 幸か不幸か宣告を伝えるべき子供たちは皆、 家を出て生活をしていました。 夫は、 そうする事が精一杯の愛情である如く、 取り乱す事なく静かに死の準備を進めていました。

 夫は漫然と手をこまねいて死を待つことは出来ないのです。 神社の十九代目宮司として養子にはいった立場上、 二十代目となる息子に確実にバトンを渡さねば自分の役目を終える事は出来ない。 お宮の存続、 職員の経済的な事、 衰退してゆくばかりの地元の経済、 減少してゆく参拝者、 これ等のストレスが癌の一大要因として体内に巣食っていたとしても、 それを頭の中から消し去って楽になる事は出来ないのです。

 世襲の重み。 でもその重みのお陰で真摯に生きてこられた、 というのも事実です。 幸い東京の神社に奉職していた長男に相談すると、 即、 「自分は帰るべき人間なのだから直ぐに帰る。 但し上司に届けをだし、 然るべき筋を通してからでないと帰れないがそれでも間にあうか」 との弁。 おまけに長く付き合っていた彼女も一緒に来てくれるとの事。 「ありがたや、 ありがたや」 「お父さんよかったね。 安隆は帰るとは思っていたけど、 お嫁さんになる人まで一緒とは、 孫の顔もみられるよ」

 この時。 この時だけ、 夫が涙を流して言いました。

  「くやしい。 安隆は、 今いろんな仕事を教えてもらっている。 アメリカ留学も考えてもらっている。 その子供の前途を、 自分の手で摘み取る事になろうとは。 これ程病気がうらめしく思える事はないよ」

  「お父さん、 あの子は自分は青島に帰るべき人間だとわかった上で、 人生設計もしているんだから、 お父さんがそんなに残念がることはない。 本当に能力があれば、 今は地方から中央にうって出られる時代だから大丈夫。 安隆はちゃんとやっていくよ。 それより今度の選挙には病気を治して出るよ。 今まで選挙は大嫌いだったけれど、 今度は一所懸命やるからね。 絶対当選しようね」

 青島の自然を守るため、 市議会議員に出馬して、 以来五期目の挑戦なのです。

 それからあらゆる本を読み、 日頃無沙汰の親類縁者への電話攻撃、 インターネット、 「いい病院、 いい薬、 いい方法」 を摸索しました。 幸い消化器外科では権威といわれている東京の某病院に入院できました。 しかし、 なにしろ末期癌、 すぐに手術できる状態ではなく、 抗癌剤と放射線で肥大した癌を小さくしてみようとの事。

  「大変だ! 副作用で命を落とす」

 にわか癌博士はかねて調べておいた代替治療を施している奈良の病院へ直行。 体力、 免疫力を高める薬をいただいて直ぐとってかえし、 服用開始。 「ワラをもすがる」 とはこういう事だろうか。 健康な時には、 まやかしに思える事も、 その立場になると本当に治りそうな気になるから不思議なものです。

 しかし、 そのお陰としか思えない程の好結果。 嘔吐感、 脱力感、 脱毛なども無く、 副作用で苦しんでいる人を尻目に、 毎日病棟の廊下を点滴をぶらさげたまま朝の五時から歩くこと一万五千歩。 体力が落ち、 苦しむ夫のため、 義母を、 店を、 実家を放り出して付き添っていた私は何だったのか。 面会室にただ黙って座っていただけの二カ月……。 でも、 このふくよかな丸い顔がそこにあるだけで夫の心はいやされていた……と思う事にしよう。

 その二カ月、 大学一年生だった三男も三日にあげず病院に来て私達を励ましてくれました。

 さらに、 その二カ月の間、 「私はいいから隆二についてあげなさい」 といって送り出してくれた九十四歳の義母、 その義母と一緒に留守番を引き受けてくれた実家の弟、 またそれを助けてくれた職員、 お店のおばちゃん等々、 いろいろな人のお陰だと感謝の他はありません。

 四カ月の入院の後、 三月十九日、 手術する事なく癌撲滅宣言を受け無事退院、 「向う一カ月が、 体力も落ち白血球も下がり苦しい時期だからくれぐれも気を付けて」 と言われて病院を後にしましたが、 その日から選挙戦です。 ちょうど一カ月後には告示、 その一週間後には投票、 さあ乗り切れるでしょうか。

  「同年、 出るな。 それより一日でも長生きしろ。 今まで充分やってきたじゃないか。 もうやめろよ」 と同級生の涙の訴え。 でも主人と私の気持ちが変わらない事を告げると、 「わかった本当にやるんだな。 そんなら俺もやる。 頑張る。 その代わり、 きついと思ったらすぐにやめろよ」 と選挙戦の間、 家業を放棄して頑張って頂きました。

  「もう生きて帰らない」 という風評を覆すため、 夫は毎日歩き廻りました。 歩く事はおてのもの、 色も黒く戻りました。 が、 しかし、 「あんなに元気そうにしていても四年もたんぞ」 「当選しても、 仕事はできんぞ」 等々、 これが選挙というものでしょうか。

 同級生、 先輩、 氏子、 一期目からの支援者、 いろいろな人々に支えられての劇的勝利! 「やった、 やった、 とおったよ!!」 ……といっても最下位。 次点との差がわずか八票。 一票の重さ、 ありがたさ、 それにもまして人のがり、 家族の絆。 全く違う生活をしてきた二人が一つに寄り添うことで、 これだけの人の輪を築くことが出来ると如実に実感できる場面です。

 この実感を手にするには幾多の試練を乗り越えることです。 乗り越えられるのも寄り添う家族がいるからです。 今の世は殆ど楽な方へ楽な方へとの選択が優先される時代のようです。 しかし、 今、 流行のスマートな友達家族で命の伝達ができるのでしょうか。 いろんな修羅場を乗り越え、 無様な姿、 たくましい姿、 はい上がれない程落ち込んだ姿、 涙、 笑い、 歯軋り、 等々、 様々な姿を見せ合いながら親も子も情でむすばれてゆく。 きれい事だけでは心も育ちません。 まちがっても、 落ち込んでも日々、 一歩進んでゆく姿で家族が成長してゆくと思っています。

 振り向いてもくれないと悲観していた若い時、 私が妻の座を放棄していたら、 膨張した私の体を片目をつむってみてくれる夫の寛容さがなかったら、 今の幸せを感じる事はなかったでしょう。 子供達もそれぞれの立場で、 それぞれの考えで応援してくれました。 まだ選挙権のない三男までもじっとしていられず帰省しました。 また、 それぞれに寄り添ってくれる家族になるであろう人達も。

 それぞれが、 それぞれの人のがりの輪を精一杯引き寄せてくれました。 私は今回 「この子達はこの子達の人のがりが出来ているんだ。 このがりの中で生かされてゆくんだ」 と子離れの時期を痛感しました。

 七百五十年の歴史を引き継いだ夫、 その夫に嫁して三十三年、 時にはその重さにあえぎながら、 また、 その歴史の流れに支えられながら、 私達二つの命が四つの命を産み、 その四つが、 また、 四つの命と結びつく。 滔々と流れゆくこの命のがりが、 ほろびゆく命をも肥やしにしながら次の時代を築いてゆく。

 神主の家にあっては当然のことながら、 正しいと考える事を正しくおこない、 正しく伝えてゆく事に腐心しながら我が家の子供達も次代を築いてゆくことでしょう。 さらに、 長男夫婦に新しく出来るであろう小さな命が、 夫の命の大きな灯となって、 まだまだ社会の役に立てる時間を提供してくれることでしょう。 感謝。

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 お わ り に

 

 われわれ日本人にとって (日本人ばかりではありませんが) 「癌」 というものは、 大変身近に感じるものです。 親、 兄弟姉妹、 親戚、 友達、 知人と周囲を見渡しても必ず、 一人か二人は、 なんらかの形で癌に関連した病気の人がいるものです。 それだけに癌に対する関心も深く、 それだけに恐怖感も強いと言えます。

 そこで私の言及したいことは、 たとえ癌に罹患しても、 決して恐れず、 真向から闘うことであるということです。 方法はいくらでもあります。 西洋医学に於ける癌化学療法、 メスによる手術、 放射線治療法を含む放射性物質による療法、 そして前述の免疫療法等、 延命効果を狙うなら、 どれをとり上げても、 充分目的効果は期待できます。

 少しでも癌と闘う意志があるならば、 一日でも早く率直に診断を受け入れ、 家族ともども一丸となって癌に立ち向かうことです。 必ず癌を征服する覚悟で臨めば癌よりの生還は可能となります。 一年でも二年でも延命させているうちに、 完治する癌化学療法の新薬が開発されるかもしれません。 私は完治への望みを大きくもって癌と闘っていくつもりでいます。

 参考までに、 治療法は各人それぞれで患者自身が良く考え、 また、 勉強し、 医師と納得いく治療法を選ぶことが大切でしょう。

 

 私は、 これまで昭和四十年に神職となり三十九年、 昭和六十二年に宮崎市議会議員に初当選してから十八年、 ひとりの神職として議員として生きてきました。 日々神明奉仕し、 議会で口角泡飛ばす中で得たものは、 多くの友でした。 日本各地で変わらず神祭りを続ける神職、 政  まつりごとに命を削る議員・役所職員、 宮崎産業の浮上に燃える実業人、 そして地元の友人。 私が出会い、 喧嘩をし、 議論をしながら付き合ってきた人々。 私の周りには、 真摯な男がたくさんいます。 これも青島大神の御加護でしょう。

 最後に、 長い間治療に携わっていただいた各病院の医師・看護師をはじめ医療機関の皆様、 また激励下さった多くの友、 そして家族に、 心から感謝しています。 ありがとう。

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参考 [一] ヒト自家細胞傷害性Tリンパ球の誘導培養法と

           ナチュラルキラー細胞の増殖方法    

 がん疾患、 いわゆる悪性腫瘍に対する治療には、 外科手術、 放射線療法、 化学療法の三大療法がある。 さらに近年では、 第四の治療法として免疫療法に期待が高まった。 生きている細胞を薬のように用いることから細胞医薬、 あるいは細胞療法ともいう。 また、 患者の細胞を体外で培養するため、 養子免疫療法とも称される。 ところが、 養子免疫療法として知られるLAK (lymphokine-activated killer) 療法やTIL (tumor-infiltrating lymphocyte) 療法は、 未だ普及には至っていない。 本発明であるキラー細胞を体外で人為的に活性化、 増殖誘導する方法は、 そうした課題を解決するために考案されたものであり、 臨床応用研究では劇的な効果を示す症例がいくつか報告されている。 細胞材料開発室 (理研ジーンバンク・細胞開発銀行) の大野忠夫室長に話を聞いた。 (表紙写真の左側はナチュラルキラー細胞を加える前の標的のがん細胞。 右側はナチュラルキラー細胞を加えてから二十四時間後。 大型のがん細胞は殺されて消失し、 小型のナチュラルキラー細胞だけが残っている。)

■ キラー細胞とがんの養子免疫療法

     研究の背景について聞かせてください。

 大野:がん治療では、 一般的に外科手術、 放射線療法、 化学療法が行われます。 手術してダメなら放射線、 それでもダメなら制がん剤の投与という順番です。 しかし、 放射線や制がん剤の効果がほとんどない疾患もあります。 脳腫瘍や腎臓がんや悪性黒色腫などです。 そこで着目したのが、 第四の治療法として期待されながら未だ評価の定まっていない免疫療法です。 免疫療法ではLAK療法やTIL療法が知られていますが、 LAK療法は当初期待されたほどの治療効果がなく、 TIL療法は殺がん効果の強いTILが取れにくいことがわかっています。

 主に免疫反応に携わるのはリンパ球ですから、 私ども細胞開発銀行の培養技術を生かした治療法の開発が可能なはずだと考えたわけです。

     腫瘍免疫研究では、 次々に新技術が登場しています。

 大野:がん抗原ペプチドによる腫瘍ワクチンや、 がん細胞と樹状細胞を融合し、 腫瘍ワクチンとする技術などが開発されています。 ただし、 前者は正常細胞と共通する抗原ペプチドを用いるため、 自己免疫疾患を引き起こす可能性が指摘されていますし、 後者の場合は細胞融合操作の煩雑さ、 さらには融合細胞投与後に患者体内でCTL (細胞傷害性Tリンパ球) が誘導されるのを待たねばならず、 効果を期待するには一段遠のきます。 本発明が解決した課題は、 自己免疫疾患を起こす危険性がなく、 体外でがん細胞のみを攻撃するキラー細胞を効率的に誘導培養する方法を開発し、 即効性のある免疫療法を開発したことにあります。

 細胞性免疫に携わる主たるリンパ球には、 異常細胞を殺すNK細胞 (ナチュラルキラー細胞) と、 ウイルス感染細胞が細胞表面に出す抗原ペプチドを認識して急速に増えるCTLがあります。 両細胞とも自分自身のがん細胞を殺す能力があり、 自分自身の正常細胞はまったく殺しません。 制がん剤とは比較にならないほど、 がん細胞に対する選択的攻撃作用が大きいのです。 本来、 体内の細胞性免疫機構が発がんとともに活性化されていれば、 がんは治るはずですが、 がん患者では活性化されていません。 私たちはこの両細胞に着目しました。

■ ヒトCTL誘導培養法の開発

     そこでまず、 患者の末梢血リンパ球からCTLを誘導培養する方法を開発   したのですね。

 大野:そうです。 末梢血リンパ球からCTLを誘導培養する検討を重ねた結果、 私たちがすでに開発していたLAK細胞培養用の無血清培地に、 四種のサイトカインのカクテルと患者由来の自家血漿を添加し、 攻撃対象としたい患者自身のがん細胞をあらかじめ放射線処理しておいて共存培養すれば、 効率良くヒトCTLが in vitro (体外) で誘導できることを見出したのです。

 私たちが誘導したCTLは、 従来方法に沿って培養したNKやLAKの活性に比べ、 はるかに強力でした。 一個のがん細胞を殺すのに、 およそ2個のCTLがあればよいのです。 しかも患者の末梢血リンパ球から誘導した自家CTLは、 患者自身の正常細胞を殺さないことも証明できました。 証明には、 患者の末梢血とがん細胞と正常細胞の3点セットが必要ですが、 選択的攻撃作用の高いCTLをがん患者の末梢血から体外で誘導できる点は、 CTLの臨床応用に道を大きく開くものと確信しました。

     CTLの臨床応用研究については、 脳腫瘍がターゲットですね。

 大野:私たちは、 このCTLの優れた効果を観察した後、 筑波大学臨床医学系の各科に協力を求め、 共同で臨床応用研究を開始しました。 細胞開発銀行には、 培養細胞株の高度な品質検査システムを常備していますから、 培養中の微生物汚染などの安全対策は問題なくクリアできます。 臨床研究の実施に際して、 大学側では本人および親族へのインフォームドコンセントはもちろん、 倫理委員会の承認を得て実施されています。

 臨床応用は、 脳神経外科で扱う脳腫瘍に対して行いました。 脳腫瘍の中でも悪性膠腫の治療成績が極端に悪いからです。 これには鮮烈な思い出があります。 私は数年前、 脳神経外科医二人に、 脳腫瘍再発後の入院期間は平均してどれぐらいか尋ねました。 すると二人の医師は互いに目を見合わせて妙な顔をしていました。 答えはなんと 「悪性膠腫が再発して入院したら、 もう退院することはありません」 だったのです。

 悪性膠腫の場合、 腫瘍組織周囲の正常脳内に1・5〜2pは浸潤していると推定されますから、 すべて取り去ることは不可能です。 そのためほとんどの症例で術後一年を待たず再発します。 しかも再発腫瘍に対する放射線や抗がん剤の効果は極端に少なく、 現代医学において治療のとても困難な病気のひとつといえます。

■ 劇的な効果が見られた臨床応用

     自家CTLを患者の頭蓋内に直接投与するのですか?

 大野:脳内は限定された閉鎖空間で、 再発腫瘍の場合は手術後の腫瘍を除去した空隙があるため、 脳内に自家CTLを局所投与できます。 したがって、 全身投与するLAK治療よりもはるかに少ないCTL数で済むわけです。

 私たちが培養した自家CTLを投与した最初の症例は、 再発悪性膠芽腫と確定診断された患者で、 投与時点での容態は昏睡状態で呼吸も悪化しており、 余命一週間程度と推定されていました。 投与後の安全性に関してはまったく問題なく、 効果は劇的でした。 私自身、 患者のMRI画像を見て 「これは他の患者の写真ではないか」 と疑ったほどです。 画像から算出した腫瘍体積は、 投与後2日で三分の一に激減していました。 患者は意識を取り戻し、 呼吸も正常化して、 簡単な返事もできるまでに回復しました。 その後患者の容態は一カ月程安定しましたが、 残存腫瘍が再び増加し始め、 残念ながら三カ月半後に亡くなりました。

     ほかにも良い効果が出た症例を論文で発表していますね。

 大野:第二例目は、 星状細胞腫の患者に自家CTLを投与しました。 三回投与後、 腫瘍容積は半減し、 患者は退院しました。 その後、 患者の容態を二十三カ月間維持することができましたが、 担当医が忘れていた頃に急激な再々発を来たし、 残念ながら亡くなりました。

     それでも再発腫瘍の治療では奇跡ですね。

 大野:まさに脳腫瘍のCTL療法に大きな希望を持てる画期的な経験でした。 現在までに定量的評価可能症例は十一例あり、 この中には世界保健機関 (WHO) による効果判定基準に照らして、 MRI画像上は腫瘍画像が消失した 「完治」 の症例が一例あります。

■ NK細胞の増殖方法による臨床応用にも大きな成果

     未公開のNK細胞の増殖方法についても聞かせてください。

 大野:この方法は、 患者の末梢血から分離した末梢血単核球細胞を、 ある特定の腫瘍細胞株とともに培養することで、 活性度の高い患者自身のNK細胞を選択的に、 かつ劇的に増殖させることを可能にした方法です。 ある特定の細胞株とは、 細胞開発銀行に保存されている細胞株二九〇種類以上の中から、 スクリーニングによって発見していた株です。 この細胞株は細胞開発銀行で培養していますから、 患者の末梢血があれば自家NK細胞を増殖させることができ、 自家CTLよりさらに効率的といえます。

     脳腫瘍への臨床応用研究での効果はどうですか?

 大野:東京女子医科大学の協力によって、 現在までに生存例は2例、 治療進行中の症例は7例あります。 一旦、 CTL治療で完治した症例の患者が二十二カ月経過後に再々発したため、 NK細胞療法に切り替えて治療中です。 また、 投与開始当時に8歳だった患者の場合は、 すでに退院し普通の生活を送っています。 投与前は一人の歩行すら困難でしたが、 現在は駆けっこができるまでになっています。 このような症例は、 現代医学において治療の大変困難な病気に対する大きな前進だと考えています。 それまで治療の可能性がほとんどなかったものが、 そうではなくなったのですから。

     保険適用治療法として認可される日は来るでしょうか。

 大野:自家CTLや自家NK細胞の培養期間は二〜三週間と短いのですが、 細胞開発銀行クラスの品質管理体制と高価な材料、 さらにプロフェッショナルレベルの技術員の手間と時間がかかります。 また、 患者一人のために新薬を作るのと同じで、 時代の先端を行くテーラーメイド医療ですから当然コスト高となります。 保険適用を受けるためには、 おそらく二十億円程度の臨床治験開発資金が必要となるでしょう。 しかしながら、 このような先進の療法をできるだけ経済的負担なく受けたいと思う気持ちは、 すべての患者に共通しています。 本発明の事業化に興味を持たれた方には、 実のあるご支援を是非ともお願いしたいと思います。

                 (http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/patent/2 0 0 1/no.1 9/

                 理研パテント情報 19より抜粋)

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参考 [二] 第3次対がん10か年総合戦略 (概要)     

         〜がんの罹患率と死亡率の激減を目指して〜 

  【戦略目標】

○ 進展が目覚しい生命科学の分野との連携を一層強力に進め、 がんのより深い本態

解明に迫る。

○ 基礎研究の成果を幅広く予防、 診断、 治療に応用する。

○ 革新的ながんの予防、 診断、 治療法を開発する。

○ がん予防の推進により、 国民の生涯がん罹患率を低減させる。

○ 全国どこでも、 質の高いがん医療を受けることができるよう 「均てん化」 を図る。

 

1、がん研究の推進 

 がんは、 極めて複雑性に富んだものであり、 発がんの要因やがんの生物学的特性、 がん細胞の浸潤能・転移能やがんと宿主免疫応答等の関係など、 その全貌が十分に解明されているとはいえない。 このため、 がんの罹患率と死亡率の激減を目指し、 以下のような分野の研究

を重点的に推進する。

 1.学横断的な発想と先端科学技術の導入に基くがんの本態解明の飛躍的推進

 2.基礎研究の成果を積極的に予防・診断・治療へ応用するトランスレーショナル・リサーチの推進

 3.革新的な予防法の開発

 4.革新的な診断・治療法の開発

 5.がんの実態把握とがん情報・診療技術の発信・普及

 

2.がん予防の推進 

 1、がんの有効な予防法の確立

 生活習慣、 環境要因等の相互作用と発がんリスクとの関連等の研究により、 がんの有効な予防法の確立を目指す。

 2、がん予防に関する知識の普及の促進

 がん予防に関する知識を広く国民に周知していく。 また簡便で効果的な禁煙支援方法を開発し、 広く普及する。

 3、感染症に起因するがん予防対策の充実

 感染症に起因するがんの予防法を確立するとともに、 感染の関与が明らかな肝がん、 子宮頸がん、 一部の胃がんや白血病の罹患率を減少させる。

 4、がんの早期発見・早期治療

 新しい検診技術の開発、 検診に携わる医療関係者の研修等による検診技術の向上、 有効ながん検診の普及及び受診率の向上により、 がん検診をさらに充実し、 がんの早期発見・早期治療を進める。

 

3、がん医療の向上とそれを支える社会環境の整備 

 1.がん研究・治療の中核的拠点機能の強化等

 がん研究及び推進事業をより統一的に強力に推進するために情報の集積、 発信拠点機能等の充実を図るとともに、 将来のがん研究の中核となる人材の育成を行う。

 2.がん医療の 「均てん化」

@がん診療拠点病院の整備

 国立がんセンター、 地方中核がんセンター、 大学病院に加えて、 二次医療圏 (364カ所) に一カ所程度を目安に地域がん診療拠点病院の整備について民間病院の参画を積極的に促しつつ進める。

Aがん専門医の育成

 がんの手術療法、 化学療法、 放射線療法等に通じた各分野の専門医が協力して診療に当たることができるよう、 臨床腫瘍医等のがんの専門医の育成を進める。

 3.がん患者等の生活の質 (QOL ) の向上

 機能温存・機能再建療法の開発や緩和医療技術の開発を進め、 がん患者の苦しみの軽減を目指す治療法等の普及を図るとともに、 全国的に緩和医療を提供できる体制を整備する。

 4.国際協力・国際交流の促進並びに産官学協力の推進

 国際交流や、 国際協力を進めることにより国際的な情報交換を推進するとともに、 がんの基礎研究から得られた成果を速やかに臨床の現場に応用できるように産官学の連携をさらに推進する。

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著 者  長 友 隆 二

昭和17年9月26日生

國學院大學文学部卒業と同時に明治神宮

奉職後青島神社宮司現在に至る

現在、青島神社名誉宮司に就任

昭和62年より宮崎市議会議員現在5期目

 

著 書 

・青島神社造営誌 (昭和53年 西日本印刷)

・国旗と国歌 (昭和53年 西日本印刷)

・鴨つく島 (昭和61年 クボタ印刷)

・自分を発見するためのヒント (共著)

         (平成9年 ビジネス社)

・神主のひとりごと (平成10年 たま出版)

・未来 蘇れ日本人 (平成13年 クボタ印刷)

 

が ん に 挑 む

 

平成16年1月

著 者  長 友 隆 二

発行者  長 友 隆 二

mail:shrine@theia.ocn.ne.jp

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私は、がんで死にたい。

先ず、おことわりしておきます。私はガン患者です。

はじめに宣言しておきたいことがあります。「私は、ガンで死にたい」

 そもそも、人間の死亡率は百%。死ななかった人は一人もいません。その死に方が問題です。「トン コロリ」が今の日本人の理想と言われます。ピンピンと元気で生きて、コロリと苦しまず死にたいというわけです。しかし、私は心臓発作などで、ある日突然死ぬのはゴメンです。やり残した事もあります。燃やしたい物もあります。人生を締めくくる時間が欲しいです。

 ガンが治らないと分かっても、ガンと知ってから数年の猶予があります。そして、死の直前まで、痛みの症状をとるなどして、うまく付き合えば普通に生活できる病気です。

 ガンは人生の縮図、時計の回る速さがアップするだけのことです。人生は死に向かう坂道の様なものですが、その勾配がきつくなっただけ。坂道には変わりありません。

 自然との触れ合いや宗教心がなくなり、急速に寿命が延びた結果、今の日本人は「死なない」という錯覚にとりつかれているようです。

しかし、医療や科学がどんなに進歩しても、人間は必ず死にます。

 ガンは、命に限りがあることを思い出させてくれます。ラテン語に「メメント・モリ」という言葉があります。「死ぬことを忘れるな」という意味の警句だそうです。

 一方、ガンになって人生が深まった。夫婦愛が又、家族の絆が深まった。生きることの素晴らしさが分かった、ガンになって良かったという人も少なくないない様です。

 脳・心臓発作で植物人間になれば何もできなくなります、時間もありません。何一つ整理も出来なく死に到ります。やはり、私は死ぬのならガンと思います。そしてガンを正しく理解し判断に役立つ情報を入手すべぎであります。自分自身の努力も必要です。

           

           長友隆二